こんな「母の思い出トーク」でした。

by konmaru
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昨日、電車の中で泣き止まない我が子に手を焼く見ず知らずの親子を見かけました。

30代の母親と、1〜2歳くらいの息子さんなのですが、何が気に食わないのか、その息子は尋常ではないほど泣きわめいており、その車両じゅうの乗客がその親子に注目するしかない状態が続きました。

気の毒なのはその母親でして、息子の頭を撫で、体をさすり、オモチャやお菓子などで機嫌をとり、「シーッ、シーッ」と自分の口に人差し指をかざしたりと、ありとあらゆる手段を講じてはみるものの、息子の機嫌は一向に良くならず、周囲に恐縮しまくっている彼女の表情は、はたで見ていても気の毒なほどでした。

 

おそらく、この母親は、多くのの母親がそうするように、息子がある程度成長した段階で「人前で泣き止まないお前をあやすのがどんなに大変だったか。お前をここまで育てるのにどんなに苦労したか」ということを懐かしさも交えながら息子に伝えることでしょう。

で、息子は息子で、「そんなこと今頃言われてもよぉ」と照れながらも、「良くここまで育ててくれたよなぁ」とか「親になるって大変なんだなぁ」などの感慨をもって母親の思い出トークに付き合ったりするんだと思います。

 

 

そんなことを妄想しながら電車内の親子の格闘を見ていたら、つい先日、帰省中に母親から「私(筆者)に関する育児エピソード」を聞かされたことを思い出しました。

どんな会話がきっかけでそのエピソードが披露されるに至ったのかは覚えていませんので、当該エピソードのみ再現してみます。

 

 

:お前(私)が小さかった頃、そうねぇ、2つぐらいの時かなぁ。

冬の寒い夜で、あたし(母)とお前は同じ布団に入って寝ていたんだけど、夜中にふと目が覚めたら、お前が布団の中にいなくてね

寝相が悪い子だったけど、暗闇の中で布団の中をどんなに手探りしてもお前がいないので、さすがにビックリしてさ。

どこ行っちゃったの? と思って灯りをつけたら、お前はすっかり布団からはみ出して、あたしの枕元あたりで寒さに震えながら小さな体を丸くして寝ていたんだよね。

それで慌てて布団の中に入れてさ、両足でお前を温めたり、両手で一生懸命体をさすったりしたんだけど、もう体がスゴく冷たくて、とにかく風邪ひくと大変だと思いながら頑張ってあっためたんだよね〜。

 

:うわっ、初めて聞いたけど、俺、可哀想。。

 

:でね、一生懸命温めていたら、お前が半分寝ぼけながら小さな声で「もっと〜…」って言ったのよ。

可愛かったぁ〜。ケタケタ(←と笑う母)

 

:俺、可哀想。。。。(←ほぼ絶句状態の息子)

 

:そんなこと言ったって、あたしも寝てたし、お前が布団からすっかり出ちゃってることなんて気付かなかったし。ケタケタケタ。

 

:ますます、可哀想。。。。。。

 

:あっためてやったら、お前がもっと〜…だって。可愛いの! ケタケタケタw。

 

:ホントに、可哀想。。。。。。。。。

 

もっと〜…だって。とにかく可愛いかったぁ。ケタケタケタww。

 

70代後半の母親が、50歳を過ぎた息子の幼少期エピソードを話してきたわけですから、「そんなこと今頃言われてもよぉ」とは思いましたが、聞かされた私には照れ臭さもなければ、「良くここまで育ててくれたよなぁ」とか「親になるって大変なんだなぁ」などの感慨を持つこともありませんでした。

私が感じたのは、寒さに震えながら「ママ、もっと温めて!」と訴えることしかできなった幼い頃の我が身の不憫さばかりでありまして、聞いていて、ただただ切なくなってしまいました。

 

おそらく、

「そんなふうに、母親であるあたしの保護がなければ、ただ凍えることしか出来ないほど幼くて可愛かったお前が、今ではこんなに図体もデカくなって。オッサンになって。ホントにねぇ」

ということなんだと思いますが、当の本人としては「可愛くないオッサンになってごめんなさい」と反省するのも癪なわけで、実に複雑な「母親の思い出トーク」ではありました。

 

今後、「いまだ知られざる『可愛くて、可哀想だった自分』の過去」を次々と披露されることのないよう、帰省時の会話の運びかたには注意していきたいと思います。

 

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