9月2日付の『日刊SPA!』に、“小林よしのり『コロナ論』が大反響「日本のコロナパニックはインフォデミックだ」”というインタビュー記事が掲載されました。
先月発売された『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』(扶桑社刊)をふまえてのインタビューかと思われます。
私自身は『コロナ論』をまだ読んでおりませんので、このインタビュー記事から汲み取った範囲内で感想などをまとめてみます。
昔から変わらない“よしりん”。
以前からオウム真理教、薬害エイズ、従軍慰安婦、皇室など、様々な社会問題やタブーに切り込んできた小林さんですが、このたびのインタビューを読んでみても「権威に媚びない」というか「独立独歩」というか、「自主自立」「毒を以て毒を制する」などの表現が似合う言論姿勢が感じられ、往年のよしりん愛読者としては嬉しい限りです。
私個人としては、過去の作品について面白かったりそうでもなかったりしたものがありますけれど、こういうスタイルで表現する言論人がいらっしゃって、しかもちゃんと「売れる本」を作り続けていらっしゃること自体が、いまの日本の良さではないかと思います。
世が世なら、焚書とか発禁処分をくらうこともあったわけですから。(←『コロナ論』がそうだということではなく、表現の自由が認められている世の中で良かったということです)
「集団免疫」にかなり期待していらっしゃるけど…。
小林さんは「すべての感染症は集団免疫を獲得するか、効果的なワクチンが開発されなければ終息しない」とおっしゃっています。これは多くの専門家も指摘していることですし、私もそうなんだろうと思います。
さらに言えば、小林さんが「(新型コロナの)ワクチン開発は難しいでしょう」と分析されていますが、私も「政府は『来年には国民全員に』とか言ってるけど、本当にできるの? 効くの? 安全なの?」という印象を持っています。
となると、終息のためには「(ワクチンなしで)集団免疫を獲得する」の一択になるわけですが、これに関する小林さんの考えについては、違和感をおぼえました。ちょっと抜粋してみます。↓
- 「Go To トラベルキャンペーン」でも何でもやって、国民は全国どこでも移動して、今のうちに免疫を獲得すべきなんです。
- わしはインフルエンザのワクチンも打たないし、罹っても自前の免疫でいつも治している。
- 最初に入ってきた武漢株にも、その後の欧州株にも、日本人は自らの自然免疫で打ち勝つことができるのがわかった。自然免疫で事足りたので、抗体もできず、抗体保有率は低いままだが、日本人は集団免疫を持っているのと同じだとわかった。
これらに対する私の違和感を羅列すると、こうなります。↓
- 「経済のため」ならまだしも、「集団免疫獲得のため」に長距離移動を推奨しているように聞こえて、違和感。
→ 「集団免疫を獲得した」とされるスウェーデン公衆衛生当局(後述)ですら「引き続き社会的距離を守り、感染予防のガイドラインに従う必要がある」としているようですから、もう少し慎重でもいいんじゃないでしょうか。
- ワクチンを打たず、インフルエンザを自前の免疫で撃退できていることを自慢しているようで、違和感。
→ そういう人もいるのでしょうが、ワクチンによって救われる命も確実にあるわけですから。
- 「日本人は集団免疫をもっているのと同じ」なのは事実なのか?
→ このへんのエビデンス・情報源は、著書を読めば分かるんだと思います。
この集団免疫については、さらに続きます。↓
「スウェーデンが集団免疫を達成」と評価しているけど…。
さる7月17日、スウェーデン公衆衛生局が「首都ストックホルムで集団免疫が達成された」と宣言したことを受け、インタビュアーから「日本国内では(このことが)ほとんど報じられず、スウェーデンはコロナ対策の失敗例と誤解している人が多い」と話を振られて、小林さんは以下のようなことをおっしゃっています。↓
- 新型コロナの抗体を獲得することだけが、集団免疫達成に繋がるわけではなく、自然免疫や獲得免疫、さらに交差免疫によって、集団免疫を構築できることがスウェーデンの例から窺える。
- なのに、日本のメディアはスウェーデンの集団免疫達成をほとんど黙殺した。
- その一方でメディアや一部の学者はコロナの恐怖を煽り続けたが、現実には日本の死者数は超低空飛行で推移しているではないか。
まぁ、お気持ちは分からないではありませんが、この「スウェーデンの集団免疫」に対しては、いろんな評価や意見があるのも事実でして。↓
- スウェーデン当局、新型コロナの免疫は6カ月間持続可能と想定
→ 当のスウェーデン当局が「感染した人は抗体の有無にかかわらず、少なくとも6カ月間は免疫が持続する可能性が高い」という慎重な姿勢を崩していません。(前述の「社会的距離」についてもここで言及されています) - 新型コロナ拡大を防ぐ「集団免疫」は、本当につくのか
→ 「旧型」のコロナウィルスで発症する普通の風邪は何度でもかかることを例示ながら、「集団免疫がつかない場合には、子供のころから何度も感染を繰り返すことで免疫が付き、高齢になっても重症化しないようになるのを期待するしかない。遠い将来は、新型コロナウイルスの病原性は旧型と区別できないほどになっているかも」としています。
普通の風邪レベルになるならそれはそれでOKですが、問題は、そうなるまでにさらにどのくらいの重症者や死亡者を生んでしまうのかが、まだ分かっていないことだと思います。(こういうのって、結局は終わってみないと分からないんじゃないでしょうか) - 集団免疫獲得の試み、膨大な死者を出す恐れ ファウチ氏が警鐘
→ アメリカCDC所長のファウチさんが「集団免疫を獲得するために新型コロナウイルスの感染拡大を許容する試みについて、高リスク者を中心に膨大な死者を出すだろうと警鐘を鳴らした」という報道です。
まぁ、これすら小林さんは「それは、既に20万人近い死亡者を出しているアメリカの話でしょ。日本は違うのだ」とおっしゃるんだと思いますが、「だったらスウェーデンの集団免疫達成の事例だって参考にできなくなるんじゃないの?」という素朴な疑問が湧いてきます。
そもそも全世界でパンデミック化した感染症について、「自国は自国。他国は他国」とかやってたら、終息が遅れるだけなんじゃないのでしょうか。 - 誤解されたスウェーデン「コロナ対策」の真実
→ 「スウェーデンがロックダウンをとらなかった理由は集団免疫戦略ではない。コロナには長期的な対応が必要になるとみて、国民・社会が長く耐えられる持続可能な対策を採ることにしたからだ」という駐日スウエーデン大使へのインタビューが紹介されています。
かたや当局は「ストックホルム市内で集団免疫達成」としているわけですので、「それは結果としてそうなったのであって、目的だったのではない」ということかと思われます。
いちおう、私なりにバランスを取るべく、「集団免疫でいけるのだ!」「すでに日本人は免疫を持っている!」という(ホントだったら超嬉しい)意見についてもリンクを張っておきます。(特にコメントはしません)
インフォデミックの象徴として特定テレビ番組(の出演者)を集中攻撃する理由がよく分からない。
確かに、マスメディア全般に「正しく恐れる」レベルを逸脱した論調・演出があったと思います。
私もいろんな局のいろんな番組を見てきましたが、“クルーズ船での感染 → 国内での感染拡大”という春先の頃は、だいたいどの番組も「未知のウイルスでどうすればいいの? 世界はどうなるの? 推測でも想像でもなんでもいいから、とにかく教えて、偉い人!」一辺倒だった印象があります。
(とは言え、人類が初めて感染する新型ウィルスについて明快に答えられる人などいるはずもなく、それだけメディアで働く人々にも不安が募っていたということなのでしょう。私はあまり責める気にはなれません)
その後、徐々にウィルスの実態が明らかになってくる中で「無症状の感染者が多い。発症直前にウィルス量が最大となる。だからPCR検査が大事。医者が必要とする検査すら滞っているのは問題」というあたりも、各局各番組とも同じ論調だったと思います。
その中で、とりわけ『羽鳥慎一モーニングショー』だけを俎上に乗せ、「コロナの女王」だの「今も視聴者を“コロナ脳”に洗脳している」だの「極左テロ組織に認定すべきとさえ思うよ」と批判(というか誹謗中傷のレベルではないかと…)するのは、いかがなもんでしょうか。
確かに、他の情報番組では「行き過ぎた自粛ムードは経済を殺す」という観点からメディア(自分の出演番組を含む)の報道姿勢を批判するコメンテーターもおりました。
そんな中、出演者全体で「このままではいけない。もっとこうすべき」という主張のベクトルがわりと揃っていた(揃えていた)『モーニングショー』が突出した感はあるんだろうと思います。
だとしたら、出演者(だけ)ではなく、キャスティングを含めた制作責任者である番組プロデューサーに対して異議を申し立てるほうが建設的だと感じます。(玉川徹さんや岡田晴恵さんを連日出演させていたのはプロデューサーの判断なのでしょうから)
もっと言えば、「最近は岡田晴恵が麻原彰晃に、玉川徹が上祐史浩に見える」などとレッテル貼りをするのではなく、「いついつの、誰それの、あのコメントの科学的根拠は何か?」とか「◯月◯日のコメントは、明らかに科学的に誤っているので番組内で訂正すべき。訂正しないのなら、その理由は何か?」と直接プロデューサーさんあたりに取材するほうが生産的だとも思いますが、どんなもんでしょうか。
まぁ、表に出て発言する人間を戯画化して批評・批判するのは小林さんならではの手法ですし、ご自身も個人でリスクを背負う覚悟をもって発言なさっているんだとは思います。
ただ、こと感染症パンデミック下においては、特定個人を攻撃しすぎると、人々の分断を助長するだけなんじゃないかと思います。敵はウィルスですから…。
新型コロナウィルス感染症と季節性インフルエンザを比べていいのか?
両者の症状は似ているわけですが、かたや「一本鎖RNAウイルスなので変異しやすい」と言われるコロナと、季節性インフルエンザでは、そもそもウィルスの種類が違うので、今の段階で「新コロの正体は、日本ではインフルエンザ以下の珍コロ」 などと扇情的に断定しないほうがいいんじゃないでしょうか。
また、「新型コロナには治療薬もワクチンもないから怖い」という声に対して、「治療薬もワクチンもある季節性インフルエンザに毎年1000万人以上が感染し、1万人が間接死している。つまり、インフルのワクチンの有効性さえ疑わしいというのに、政府も専門家もメディアもその事実を無視している」と小林さんはおっしゃっています。
しかし、その同じ現象を「治療薬もワクチンも揃っている季節性インフルエンザですら、毎年1000万人以上が感染して1万人が間接死しているのだから、その両方がまだない新型コロナは、なおのこと警戒すべき」と言うこともできるんだと思いますし、「インフル感染者のうちの何割がワクチン接種をしていたか」などのデータを見ないと“ワクチンの有効性”うんぬんについては語れないように思います。
とまぁ、思いのほか長文になってしまったので、そろそろ終わりますが、私が最も違和感を覚えたのは、以下の2つの発言に対してです。↓
「新コロの感染者数はこれまでで6万人くらい。死者も1200人程度と桁違いに少なく、インフルより全然大したことはないという結論に辿り着いた」
国内の死者数が他国と比べて(今のところ)桁違いに少ないからと言って「全然大したことない」と結論づける勇気は私にはありません。
むしろ、亡くなる方が100人を超えたあたりから「えっ、こんなに死ぬのか…」と絶句しちゃってたぐらいですので。
小林さん自身、「各国で事情が違うんだから、膨大な死者を出している他国と単純比較して大騒ぎするんじゃなく、日本独自の戦い方を発想すべし」とおっしゃっているわけですから、“衛生観念の強い(と評価されてきた)この日本において、これまでになかった感染症で既に1,200人が亡くなっている”事態を、あっさりと「全然大したことない」と切り捨てるべきではないと思います。
(この論法が成立するなら、アメリカ大統領のトランプさんですら「20万人の死者なんて大したことない」と言えてしまうんじゃないでしょうか。っつうか、トランプさんの場合、そう言ってるも同然か…)
それからもうひとつ。↓
「いまだに、経済は二の次で、一分一秒でも長く生きることが大事という主張がまかり通っている」
「より多くの国民が、物心共に豊かで健康的で文化的な充実した生活を、一分一秒でも長く送れたら、それはいいことだよね」と考えるのは自然なことでしょうから、敢えて「経済」と「生命」を二律背反の図式に乗っけて語らなくてもいいと思う次第です。
(そもそもこのコロナ禍に関しては「経済を回すか、感染を止めるか」という二者択一を迫る言説が多すぎて、正直いって辟易しています)
そんなわけで、このインタビューを読んで私が感じた違和感の根源は、おそらく小林さんとの死生観の違いに起因しているんでしょう。
あるいは、私が「コロナ脳」になっているだけなのかもしれませんが。
【参考】
- 救急・集中治療医がCEOを務めるベンチャー企業(株式会社Smart119)が公開している「新型コロナウィルスとインフルエンザの違い」。↓
(簡潔で非常に分かりやすいだけでなく、「まだ分からないことや研究中のことがたくさんある」こともきちんと伝えているのが素晴らしいと思います)
https://smart119.biz/news/images/Smart119_004.jpg
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