こんな「東峰神社」でした。

前回は、「成田空港周辺での撮影スポット巡りをしたけど、飛行機の離陸だけでなく着陸も撮りたくなった」というところまでお伝えしました。

で、今回は「飛行機の着陸を、間近で見る」べく、東峰神社に行ってきたお話です。

下記Googleマップでお分かりいただけるように、この神社は「B滑走路の南端ギリギリ。しかも誘導路に囲まれている」という、ものすごい所にあります。

実際、前回もご紹介した、とちのすけさんの「MGT Greenjet 飛行機撮影記」でも、「ココの迫力は絶対体験して欲しい。衝撃のポイント」として紹介されています。

B滑走路の南端、かつ空港の誘導路(敷地)に囲まれた神社ではありますが、誘導路や滑走路の下を通る公道(トンネル)があるため、普通にマイカーや徒歩で「参拝」することができます。

開港した後も、空港拡張の用地買収をめぐる反対運動が続いてきたこともあって、この辺の道路を通行したり神社を訪れる人に対しては、かつては警察からの職務質問がなされていたそうですが、最近はそんなこともほとんどなくなっているようです。

そんな過去の経緯によって「あり得ない場所」に残されている神社ですから、それこそ普通には「あり得ない写真」が撮れるとして、一部飛行機写真マニアにとっては隠れた名所となっているみたいです。

確かに、場所から考えると、B滑走路の南側から飛行機が飛来してくれば、ほぼ目の前で飛行機が着陸するわけですから、ものすごい迫力だと思います。

よって、例えば下記リンク先にあるような光景が拝めるらしいのです。

しかし、私が訪れた日は「南風運用」だったため、A・B滑走路とも「滑走路の北側から着陸し、南側に向けて離陸する」状態が続いていました。

東峰神社はB滑走路の南端にありますから、このままだと「着陸ではなく、またもや離陸しか見られない」ことになりかねません。

そこで私は、このあと風向きが変わって「北風運用」になることを期待しながら、神社へと向かいました。

で、東峰神社に到着。

正面に木立、その手前に鳥居が見えます。

神社へは、公道から分岐した一本道を進むのですが、一本道の両側はもちろん、神社の周囲もすべて白いフェンスで囲われていました。

青い空、白いフェンス、そして神社のコントラストが実に印象的な場所です。

車を降りて、神社へと歩を進めます。

私が到着したと同時に、先客の車が立ち去り、誰もいなくなりました。

180度「回れ右」をすると、こんな感じです。

フェンスの外側は、左右どちらも「空港の敷地」なのです。

フェンスの上には、鉄条網だけでなく、人感センサーと思しきものも。場所柄から考えれば当然でしょうが。

この奥に進むと、公道に戻ります。というか、この一本道も公道なんでしょうか。

手前に、私が乗ってきた車がポツンと1台。シュールな風景です。

なんかもう、SF映画のような景色です。

サルバドール・ダリの絵画とかにありそうな構図。夢で見たらうなされそうです。

気を取り直して、再度「回れ右」をして神社に向かいます。

石造りの立派な鳥居。

「東峰神社」と書いて「とうほうじんじゃ」と読みます。

むかし津田沼町(いまの習志野市)にあった「航空神社」が、戦後ここへ遷座され「東峰神社」となったのだとか。(全部Wikipediaからの受け売りです)

鳥居の左奥には、参拝前に身を浄める手水舎もありました。

手水舎の下には石製の手水鉢がありましたが、残念ながら水は流れていないので、参拝前に身を浄めることはできませんでした。

昔は、周辺の農家たちが普通にお祭りとかやっていたのかも…。

コンクリート舗装された参道。

「2004年4月15日」と読めます。わりと最近ですね。

「皇紀二千六百年」の記念碑も。

皇紀2600年は、西暦1940年ですから、この記念碑も戦後に習志野から移設されたんでしょうかね。

改めて、回れ右。

鳥居の先には、フェンスに囲われた参道(一本道)が続きます。うーむ、夢に出てきそうです…。

境内のあちこちに、クモの巣がかかっていました。

けっこう大きくて毒々しい色のクモでした。これも夢に出てきそう…。

こちらには、また別のクモが。

他にもたくさんクモがいました。クモの楽園。

境内の地面には、金網で覆われた不思議な四角い穴が。

これが神社由来なのか、空港由来なのかは定かではありません。

こんなふうに、フェンスのあちこちがシースルーになっていて、あちら側から監視していただきやすい工夫がされています。

フェンスが二重になっていることが分かります。ちなみに警備員さんと出会うことはありませんでした。

ここまでくると、神社の立地環境インパクトがスゴすぎて、本来の「飛行機の着陸シーンを撮る」ことを忘れかけておりましたが、やはり短時間で風向きが逆転することはなく「南風運用」が継続されたために、私の頭上を着陸機が通過していくことは(神社に滞在中)1度もありませんでした。

「南風運用」なのであれば、逆に離陸していく飛行機が間近に見えても良さそうなものですが、なぜか離陸機を目撃することもありませんでした。

風向きだけでなく、時間帯にも負けてしまったようです。

結局ここで撮影できたのは、

「滑走路の反対側(北端)から進入・着陸し、減速も完了して、こちら側(南端)でゆっくりと誘導路へ向かう飛行機の尾翼を、フェンスのシースルー網目からチラ見するだけ」

という、実におマヌケな結末でした。

見づらいですが、フェンスのパンチ穴の向こう側に、チャイナエアラインと思しき飛行機の尾翼が、うっすらと。

成田空港は、今年で開港40周年を迎えましたが、今なお一部反対派住民との対立が続いており、その結果「立ち退きを拒否した民家・畑・そして神社が、空港内に残される」という異常な状態になっています。

これまでにいろんな経緯があったんだとは思いますが、日本の高度成長にともなって羽田空港だけでは航空需要を賄いきれず、急いで新空港を作りたいという国側の思いが強すぎて、住民に対してかなり強引な立ち退き交渉をしたんだろうな、という想像だけはできます。

私はこの記事を書くまで、

「国際競争力確保・空港機能強化名目で、いずれはB滑走路を延伸する時がくるのだろう。その時には神社だけでなく、世代交代しているであろう住民にも立ち退き承諾を強いるのだろう」

と思っていましたが、よくよく調べてみたら、どうも事態は違う方向に進むようです。

実は今年の3月に、「国・千葉県・空港周辺9市町長・成田国際空港株式会社四者協議が開かれ、空港機能強化について合意した」そうなのですが、成田国際空港株式会社の下記サイトに記されている「四者間で合意された滑走路の将来像」が、ちょっと衝撃的な内容だったのです。

ここで、滑走路について合意された3点を列記してみます。

まず1点目

横風用滑走路として計画していたC滑走路(既存のA・B滑走路の間を斜めに走る)は、整備中止

↑航空機の性能向上もあって、横風用滑走路を必要とする機会が激減しているんだそうです。

なお、その予定地は今後(も)誘導路として使われていくようです。

2点目

「その代わり、B滑走路の3kmほど南側に、BやAと同じ向きで(平行して)3500mのC滑走路を新しく作る

↑横風用ではなく、通常用途の3本目の滑走路を新設するということです。

さっきのリンク先のページを見ると、新しいC滑走路は現旅客ターミナル(1・2・3)からかなり離れた場所に作られるようですが、新たな用地取得の過程で再び対立を生まないよう、丁寧に交渉を進めてほしいものだと思います。

そして、最も驚いたのが次の3点目です。

「B滑走路は、(東峰神社や立ち退きを拒否している農家がある南側方向ではなく)北側方向に1000m延伸し、3500m滑走路とする」

↑「北側へ延伸」すると南関東自動車道と交差してしまいますが、高速道路を地下化すれば済む話なので、そこは大きな問題にはならないのでしょう。

私が驚いたのは、

「B滑走路が3500mとなってフル稼働するようになってもなお、滑走路の南端にある民家(農家)や神社は、そのまま残る(残っても支障ない)

ように読めてしまう点です。

今は2500m滑走路のため、大型機の離発着には使用できないようですが、3500mに延伸されたら、あらゆる飛行機が東峰神社や反対農家の上を飛び交うことになるんだと思います。

立ち退きに応じていない私有地、そして神社の「土地区画」自体は、今でも確かにきちんと保護保全されています。

しかし、その周囲は全部フェンスで囲まれ、しかもフェンスの向こう側はすべて空港の敷地で、頭上数十メートルを毎日何機もの飛行機が轟音とともに(今よりも頻繁に)離発着するという壮絶な環境が、この先も残るようなのです。

「立ち退きたくないのだから、しょうがないではないか。それがイヤならば立ち退けばいいではないか」

と言い放つのは簡単ですが、土地の記憶を忘れられない人・忘れたくない人ににとっては、「生活環境がさらに劣悪になるのはイヤだけど、立ち退くのはもっとイヤ」なのでしょうから、この土地の将来を考えると、門外漢の私ですら複雑な気持ちになってしまいます。

これから先、せめて成田空港を利用する際にだけでも、「この風景がまだ残ってしまう(残せる)」ことに想いを馳せたいものです。

できれば「北風運用」時に、また訪れてみたいと思います。