大河ドラマについては、初回から4話分ぐらいは一応見てみて、継続視聴するかどうかを決めていますが、今年の『西郷どん』は微妙に決めきれていません。
林真理子さんの原作は読んでいませんけど、中園ミホさんという人気脚本家が脚色していることもあってか、今のところ私は楽しく見てます。
1月28日放送の第4回『新しき藩主』などは、途中ティッシュが手放せなかったりもしましたし。
細かいところを言えば、
「鹿賀丈史さんが演じる島津斉興と、渡辺謙さんが演じる息子の斉彬は、お二人の実年齢が9歳しか離れておらず、親子に見えない」
とか、
「子供の頃の西郷隆盛が、島津斉彬と遭遇した史実はないんじゃないの?」
とか、
「次期大名の斉彬に対して、西郷があれほど手紙を出したりしてたの?」
とかいうように、あそこが変、ここも変、本能寺の変など、いくらでもケチはつけられるんでしょう。
でも、基本はドラマですから、史実をベースをしながら多少盛り付けを増やすこともあれば、薄味にする部分もあるでしょうし、視聴者にはそれも含めて楽しむ度量が求められているのかもしれません。
大河ドラマに代表される歴史ものは、固定のお客さんも多いでしょうから、ストーリーやセリフ回しだけでなく「史実と合っているか」という視聴者による照合チェックにもさらされているでしょうけど、出演者・スタッフの皆さんには、ぜひ頑張っていただきたいです。
とエールを送る気持ちを持ちつつも、冒頭でふれた通り『西郷どん』は微妙だと思います。
すでに多くの方が指摘していますが、セリフに混ざる方言(薩摩弁)がキツすぎて、会話の流れについていけなくなることがあるからです。
鹿児島はもちろん、九州方面出身の方々にはまだ耳馴染みもあるでしょうが、東日本住民の私にしてみると「えっ? 今なんつった??」ということが視聴中に少なからず発生してしまい、その都度15秒リプレイボタンを連打する羽目になっています。
放送開始から5回目ぐらいにもなると、それでも多少耳も慣れてきて、
「じゃっどん = しかし・だけど」
「ちごう = ちがう」
「おい = わたし・俺」
「吉之助さぁ = 吉之助さん」
という脳内変換が可能になってきました。
でも、いまだについていけない方言も多々あるわけで。例えば…。
「わっぜぇ = すごい・すごく」(だと思われる)
「ないごてな? = どうしてですか?」(だと考えられる)
「くいやい = 下さい」(で合っているはず)
「やっせんぼ = “痩せ”から転じて(?)、弱虫」とか?(自信なし)
「よかにせ = (前後の文脈から)イケメン・ハンサム」(じゃないかなぁ)
「ぶにせ = (“よかにせ”の対語っぽいので)ブサイク」(とかですか?)
この辺は、場面・言い回し・しぐさ・表情などからいまだに総合的判断が必要なものです。
さらには、「総合的判断すら困難な言葉」もいくつかあります。
例えば、「おい = わたし・俺」だとしたら「わい」も「わたし・俺」かと思ったのですが、どうも前後の文脈から判断すると「あなた」のことらしいのです。
同様に、「じゃっどん = しかし」を理解した上で聞かされる「じゃっど!じゃっど!」は、もう解釈不能です。おそらく「そうだ!そうだ!」なんでしょうかねぇ。 「じゃっどん」と意味が真逆ですよねぇ。。
こんな薩摩ことばがてんこ盛りで、かつスピード感あるドラマ展開の中でビュンビュンと耳を通過していくのです。
こんな感じで…。
「喧嘩仲間でごわした」
「ほんのごて、あいがとさげもす」
「なんのお構いもなかどん、ゆっくいしていきやんせ」
「こん度(たび)は、大変お世話になりもした」
「あん糸どんか、足が、わっぜ速か」
「胃が痛かち言うちょっとが!」
「もっと貧しか人たちが山ほどおっ!」
「そいは有馬さぁが、女を知らんからじゃ」「なんちな!」
「しっかい奉公して稼いで親孝行すっとやっど」
「やっせんど吉之助さぁ そげなこつしたら首が飛んど!」
「やめてくいやい!」
「借金取りに連れていかるっ」
「ないごてな?!」
「おいは立派なお侍なんかじゃなか。女子一人救えん、やっせんぼじゃぁ!」
おいはもう、どげんしたらよかと?(=私はもう、どうしたらいいんですか?)
第2回だったと思いますが、主人公の西郷が島津斉彬に手紙を書くシーンがあり、それと同時に西郷の声でその文面が朗読されるという、まぁ割とよくある演出がありました。
その朗読は、こんな感じでした。
このままにては早晩 百姓どもことごとく根絶は必定に候(そうろう)。
日々の糧にもこと欠き候て、いかに出精働き候えども重き年貢納め候ことあたわず候。
その故に娘を売り候者もこれあり候。
田畑を捨て、逃散する百姓も数多あり候。
こんなに「候」だらけなのに、薩摩弁に比べると、よっぽど意味が理解できてしまい、そんな自分に我ながら驚きました。
もっと言うと、「書き言葉は薩摩弁じゃないのかよ」とツッコミを入れたくもなったのですが。
ことほどさように、『西郷どん』のセリフを聞き取るのには、慣れ、もしくは多少の学習が必要なのですが、だからといって「セリフから方言の量を減らせ」という意見には反対です。
西郷隆盛が「おいは西郷でごわす」でなく「わたくしは西郷でございます」と喋ってしまっては、さすがに興が醒めますから。
で、前向きな解決策として、「字幕放送は標準語」に置き換えてしまうことを提案します。
外国映画の字幕は、基本、標準語です。たとえ、オリジナルのセリフがどんなに訛っていても、です。
同様に、「『西郷どん』は外国語ドラマだ」と位置付けてしまい、「セリフには方言が満載だけど、字幕を見れば標準語で意味が分かる」状態を作ってしまったほうがいいのではないかと考えます。それこそデジタル放送の有効な活用法だと思うのですが。
「それでは、聴覚障害者に実際のセリフのニュアンスが伝わらない」という心配の声も出るでしょうが、セリフの抑揚も分からない状況下で、テキストだけで「あいがとさげもす」とか「なんちな!」とか「やっせんぼじゃぁ!」と表示されても理解できるとは思えません。
上記のように、漢字が混じらない表記の場合は、特に意味が不明になります。
試しにボリュームをオフにして字幕表示しながら見てみましたが、脳の中でストーリーを味わうよりも、まず方言解釈が先に立ってしまい、非常に辛いものがありました。(自分調べ)
方言を聞いているだけでは分かりにくい『西郷どん』。
方言に忠実な字幕を見ていても、やはり分かりにくい『西郷どん』。
だったら、字幕は標準語に徹し、本編のセリフは思いっきり方言OKにしてしまう。
というふうに思うのですが、どんなもんでしょうか。
追伸
余談ではありますが、薩摩生まれの西郷隆盛は、長州とともに明治維新において主導的な役割を果たし、江戸幕府を終わらせた側の立場のはずです。
で、江戸幕府を最後まで守ろうとした藩として名高いのは、会津藩(現・福島県の西部)です。
よって、薩長(鹿児島・山口)と会津(福島の一部)の関係は歴史的にあまりよろしくないと思っていましたが、そんな中、このドラマのナレーションを、福島県出身の西田敏行さんが担当しているのが不思議な気がします。もしかしたら郡山市出身の西田さんの中には両県とのわだかまりなど、特にないだけかもしれませんが。
西田さんは、過去の大河ドラマで西郷隆盛を演じたこともあるようですが、両県への特殊感情がないにせよ、こうもたびたび西田さんに薩摩のヒーローにまつわる仕事をオファーする大河ドラマって、デリカシーとかそのへん、どんなものなのでしょうか。
大なり小なり、福島・鹿児島・山口の各県民を刺激すると思うのですが、むしろこういう積み重ねで3県の県民感情を中和させようという思惑があったとしたら、なんか、たまらなく“大きなお世話”な感じがしてきます。
西田さんの起用は、単に「適材適所によるもの」であることを願いますが、「自分の選挙区(山口県)を憎む他県民がいるのは許せん」という、安倍首相あたりからの陰謀だったら、むしろスゴイかもしれません。
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