昨夜から今朝にかけて、スポーツ紙のwebニュースなどから「3年前の脳腫瘍摘出手術後から療養生活を続けていたYMOメンバー・高橋幸宏さんが、亡くなったことが14日、分かった」というニュースが流れてきました。
スポニチさんのネットニュース記事によると、「年明けに肺炎を患い、容態が悪化した。亡くなったのは今週(実際は先週)と見られる」とのこと。
こういうご時世だけに、例の流行り病による肺炎を疑ってしまいますが、もしそうだとしたら、このパンデミックは一体どれだけの人の命を奪えば気が済むのかと、本当に気が滅入ってしまいます。
※この投稿後、所属事務所から「1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎により死去」と発表されました。
で、先ほど15時過ぎにはとうとうNHKニュースでも取り上げられてしまいました。
時間をかけて、それなりにしっかりと裏どりも済ませたということでしょうから、大変残念ではありますが、この現実を受け入れるしかありません。
1978年に結成されたYMOのライブ映像を当時初めて見て、「こんな細い体でドラムを叩けるんだ」などと妙に感心したなぁ〜。
YMOの3人の中で、最もテクノサウンド映えする歌声だったよなぁ〜。
高校生になって色気づいて、初めて美容院に行った時に「君に、胸キュン」のシングル盤ジャケ写を持参して、「この、右側の人みたいな感じにしてください」とか頼んで、店員さんを失笑させたりしたなぁ〜。
(リンク先動画の写真は、正確には「胸キュン」が収録されたアルバムのジャケ写(別ショット)ですが、要するにこの髪型に憧れていたという…w)
大学入学とともに上京して、当時東京の南青山にあった彼のブランドショップとか、渋谷パルコにテナント入居していたショップとかも見に行ったなぁ〜。(当然、何も買わない。というか買えなかったw)
1985年ごろに発売された初のポータブルCDプレーヤーの後継機(ソニーのD-50mkⅡ。当時の定価が5万円ぐらい)を、地元の妹が雑誌かなんかのプレゼント企画で見事に射止め、「あたし、CDソフト持ってないから。使い道ないから」という理由でタダで譲り受け、勇んで向かったレコード屋で初めて買ったCDが「Once A Fool,… -遥かなる想い-」だったなぁ〜。
それから2・3ヶ月はそのアルバムだけ延々と聴き込んで、「テープと違ってノイズ全然ない!音質スゴっ!」とか感心してたなぁ〜。
DTMをやりたくなって、バイトして最初に買ったドラムマシンが、「高橋幸宏が叩いたドラム音をサンプリングしてます」が売りだった、CASIOのRZ-1だったなぁ〜。
就職から1〜2年ぐらいして、「高橋幸宏の新しいファッションブランドショップが渋谷のQUATTRO by PARCOにできた。以前のブランドよりデザインも価格も買いやすい」と聞きつけ、冬物のコートとかTシャツとか買ったなぁ〜。
Tシャツはかなり傷んできたけど、いまだに着てるもんなぁ〜。
などなど、ありとあらゆる思い出が湧き出してきた次第です。
細野晴臣さんと坂本龍一さんを、音楽的にも人間的にもバランスよく繋いでいたのが高橋幸宏さんだったという評論を見かけることがありますが、確かに、当初の細野さんの構想通りに「YMOのドラマーとして林立夫が参加」していたら、YMOは全く別の音楽集団になっていたと思います。(←あ、林さんの力量とかをとやかく言っているわけではなく、音楽の方向性や活動期間がずいぶん変わっていただろうという話ですから、念のため)
ということで、エレクトロニックサウンドに全く埋没しないどころか、ドライにもウェットにも、繊細にもヌメヌメにも歌えるあの声と曲調を、新曲として聴くことはできなくなりました。
もちろん、YMOの3人によるライブとかも、もうありません。
自分が最も多感な時期に、高橋幸宏さんの音楽を聴けた幸せをあらためて噛みしめながら、合掌。
参考。(高橋幸宏さんの公式Twitterアカウント)↓
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