こんな「宮沢賢治をたどる旅」でした。【そもそも編】

私と宮沢賢治の接点といえば、テレビで見たアニメ映画『銀河鉄道の夜』ぐらいしかありませんし、その映画に対しても「登場人物たちを猫に置き換えていて面白いなぁ。それにしても変わったストーリーだなぁ。それにつけても細野晴臣さんの音楽は絶品だなぁ」ぐらいの感想を持つレベルでした。

ところが、今年2月9日に放送されたNHKーEテレ『ETV特集 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~』をたまたま見たことにより、賢治への興味が俄然湧き出してしまいました。

 

番組内容を引用します。

宮沢賢治には、生涯をかけて愛した同い年の男性がいた。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などの代表作誕生の背景に、一人の男性との深い交流が明らかになる。残された賢治の手紙、ノート、資料などを改めて読み解くと、新たな賢治像が、驚きとともに浮き彫りになってくる。岩手の四季折々の景色や、ドラマを織り交ぜながら、賢治の心の風景にも迫る。賢治の作品を、これまでと違った視点で読みたくなること間違いない。

 

ほー。なるほどー。宮沢賢治さんは、いま風に言うとBLだったってことですか? という下世話な気持ちを持ちながら見出したのですが、取り上げられた同い年の男性(保阪嘉内さんといいます)に対する賢治の気持ちは、確かに「男同士の友情」の範疇を超えていたように感じられます。

ただ、男女間のような「性愛」のレベルにあったのかと問われれば、たぶんそこまでではなかったんじゃないでしょうか。

平たく言えば「友愛」とか「プラトニックな愛」に近かったのだと思われますが、賢治の短い人生(37歳没)の中で嘉内の存在が大きなものであり、彼の作品にも影響を与えていたことがよく分かる番組ではありました。
(ということで、「賢治はBLだったのか? LGBTだったのか?」みたいなゲスの勘ぐりをしている番組じゃありませんので、念のため) 

 

この番組を見るまで、私は実は、賢治や彼の作品について回る「自己犠牲、聖人君子、人類愛、孤高の偉人、農民芸術家」みたいなイメージが苦手でした。

確かに、作品から感じられる彼独特の死生観自然観宗教観に惹かれる面もありますが、「何もそこまで立派な人に仕立て上げなくても…」と思ってしまう論評を目にすることが圧倒的だったこともあり、「そこまで自分はストイックじゃないし禁欲的にもなれない。だから賢治に感化されたり見ならったりするなんて、どだいムリ」みたいな感じで、心のどこかで彼の作品を遠ざけていたような気がするのです。

 

ところが、この番組(や後述する参考文献)によって、「なんだ、賢治くんも人間らしいところあったんじゃん。キラキラしたり落ち込んだり、歓喜したかと思えば挫折を繰り返す、そんな普通の青春を送ってたんじゃん。その片鱗が、作品の中にも出てるじゃん」というふうに評価が変わり「人間・宮沢賢治」に興味が湧いてきたというわけです。

(それ以上に、彼の当時の想いや熱情がうかがい知れると、それがバックボーンとなって作品がとたんに読みやすくなりましたし)

 

 

そんなわけで、彼の故郷である岩手県花巻市(とその周辺)を駆け足で巡ってきましたので、詳しくは次回以降にでも。

 

【参考】

  • 『ETV特集 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~』は、もともとはNHK BS4Kの番組『映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~』という3時間番組として制作され、その後Eテレで(私も見た)1時間番組として再編集されたという経緯があるようです。(3時間バージョンも見てみたかった…)
  • これらの番組を制作したのはテレビマンユニオンという番組制作会社で、同社の最高顧問を務める今野勉さんという方が演出をしています。
  • ちなみにこの今野さんは、2017年に『宮沢賢治の真実〜修羅を生きた詩人〜』という本を出していらっしゃいます。読んでみましたが、この本の論旨(の一部)が番組のベースになっていますので、興味のある方はご一読してみてはどうでしょう。
  • 賢治と保阪嘉内の関係だけにスポットを当てた『宮沢賢治の青春 “ただ一人の友” 保阪嘉内をめぐって』(菅原千恵子著、1997年)もオススメです。
  • 賢治と保阪嘉内の関係が知られるようになったのは、嘉内の子息と研究者の共著『宮澤賢治 友への手紙』(1968年)がきっかけとのこと。賢治が嘉内に送った70通を超える書簡が本書で紹介されたことにより、二人の関係が明らかになったのだそうです。
  • この「賢治 → 嘉内」の書簡については、花巻市の宮沢賢治記念館でも展示されたことがあるようなので、いわば“二人の仲”(←誤解を招く表現かも)は今や公認の関係となっているのでしょう。
  • 賢治の生い立ちと、作品への影響を考える上で重要な書簡だと思いますし、私自身この書簡の存在によって彼に再注目することになったわけですけれど、「私が友保阪嘉内、私が友保阪嘉内、我を棄てるな」と懇願する超プライベートな信書が後世になって公開されるとは、賢治は夢にも思わなかったでしょうね。(まぁ、現在全集化されている作品の中にも彼が公開を前提としていないようなものも多く収録されているらしいですけど)