こんな「宮沢賢治をたどる旅」でした。【羅須地人協会・室内編】

宮沢賢治ツアーの3回目は、羅須地人協会(賢治先生の家)の室内探訪編です。

 

前回のエンディングから続けます。

 

庭の一周も終わり、最後にもう一度玄関に立ち寄り、ダメ元で扉のノブを引いてみました。すると…。

 

ガチャ。あ、普通に開いた…。

 

玄関内には、訪問者の記帳ノートパンフレットスリッパ靴ベラが備え付けられていました。これは「どうぞ、お上りください。よくおでんした(ようこそいらっしゃいました)」ということかと。

 

(ここまで、前回)


(ここから、今回)

 

見学者数調査」を兼ねているので、きちんと記帳しました。なお右側に平積みされているパンフレット類は、「1団体につき1部ずつ」だそうです。同窓会の予算で印刷されていると思いますので、人数分ごっそりと持ち帰らないようにいたしましょう。

 

私も1部ずついただいてまいりました。

 

玄関を上がってすぐの廊下。吹き抜けで気持ちのいい空間です。2階(書斎)は立入禁止です。

 

階段の手前にあるマント。教員時代、寒さに震えていた生徒に「これを着ていなさい」と賢治先生が着せかけたもので、生徒は終生これを大事にしていたそうです。

 

今もなお、このマントに包まれた賢治のマコトの愛のぬくもりが、ひしと身に迫ってくる」とあります。ホントですよね。

 

階段裏の足踏みオルガン。賢治先生も弾いたのでしょうか。

 

廊下の右側にある教室。ここで、若い農民達と農業技術や芸術について語り合ったんでしょうね。

 

こちらも、天井が高くて開放的です。

 

壁には花巻農学校教員時代の写真や…

 

こんな教材絵図や…

 

こんな教材絵図が展示されていました。右の絵図、チラッと見ただけでも賢治先生の博識ぶりがうかがえます。

 

こちらには集会の案内状が飾ってありました。青年達と新しい農村文化を作ろうとしていた賢治先生の情熱が伝わってくるようです。

 

続いて、廊下の左側にある和室(居間)です。

 

居間は明るい縁側に囲まれ、縁側は手入れの行き届いた庭に囲まれています。

 

縁側の突き当たりは、おトイレなどの水回り空間だと思われます。

 

床の間の掛け軸は、都内にある「宮澤賢治の辞世」碑拓本だと思います。亡くなる2日前に詠まれた2首の短歌が刻まれています。

 

一首め。

方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも
稲熟れて み祭三日
そらはれわたる

「稗貫(地名)の十里四方では田んぼの稲も熟して、収穫を祝う三日間のお祭りは、空は晴れ渡ったことだなぁ」という感じでしょうか。

ちなみにこの前年は冷害だったそうなので、病床の賢治先生は、ことのほか豊作が嬉しかったんでしょうね。

 

二首め。

病(いたつき)のゆゑにくもらん いのちなり
みのりに棄てば うれしからまし

「病気によって今まさに尽きようとする命だが、稲のみのりの役に立つならば、嬉しいことだよ」ということですかね。

賢治先生の農業愛、郷土愛、死生観には、グッときます…。

 

 

ということで、まとめると、

  • 辞世(の短歌)を羅須地人協会(賢治先生の家)の床の間に飾るとは、花巻農業高校同窓会によるドラマチックな演出賢治愛には恐れ入りました。
  • いろんな創作活動にいそしんだであろう、2階の書斎も拝見できると、もっとありがたいのですが。(建物の強度への配慮でしょうかね)

 

この宮沢賢治シリーズ、もう少し続ける予定です。