こんな「皇居東御苑」でした。【その4:二の丸から三の丸へ(完結編)】

こんな「皇居東御苑」でした。【その4:二の丸から三の丸へ(完結編)】 Architecture/建築
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皇居東御苑散歩の4回目(完結編)です。

全体ルートはこちら。

今回は、前回到着した天守台を降り、さらに本丸を下って、二の丸・三の丸へと戻ります。

天守台からの景色。
まずは左側に見える独特な外観の建物に行ってみます。

この建物の場所は、この辺。↓

とうかのうがくどう」と発音する音楽堂。
1966年、香淳皇后(昭和天皇の妃)の還暦記念に建てられました。
その頃は、こういう“贅沢”が許されたのか、あるいはそんな名目でもなければ音楽堂を建てることができなかったのか、はたして?
外壁は有田焼・信楽焼などの陶片で彩られています。
うーん、この建物、色も形もこの場所に似つかわしい感じがしません…。
「環七沿いの新興宗教施設」ってイメージ。w(個人の感想です)
少し進むと、今度は重厚な近代建築が。
書陵部だそうです。
皇室関連の歴史的文書の管理のほか、陵墓(仁徳天皇陵とか)の管理もやってます。

場所は、ここ。↓

庁舎の隣の書庫
お宝満載なんだと思います。
まさに現代の正倉院。
続いて、梅林坂(ばいりんざか)。
本丸に別れを告げ、二の丸に下ります。

ここが梅林坂。↓

ここを下った先が二の丸。
これまた立派な石垣。
プレートのすぐ上で、一輪だけ咲く梅の花。
春の気配がします。
坂を下ったら、「都道府県の木」がズラーッ植えられていました。
ちなみに東京都の木は「いちょう」。
神奈川県の木も「いちょう」。
隣り合う都県で同じ木をシンボルにしていても、ちゃんと別々に植えられています。
律儀。
続いて、諏訪の茶屋
1912年に皇居・吹上地区に建造。
1968年、ここに移築。

ここが諏訪の茶屋。↓

茶屋前の芝を手入れする勤労奉仕の皆さん。
ご苦労さまです。
お隣は二の丸庭園

ここ。↓

ビューティフル。
こちらでも勤労奉仕中。
そういえば、何十年も前に私の祖母も参加していたはず。
水、湧いてます。
竹、生えてます。
竹以外も、いろいろ生えてます。
唐突に、小洒落た街灯が登場。
皇居正門の石橋にあった旧飾電燈だそうです。
二重橋の手前にある石橋ですね。
ということで、百人番所が見えてきました。
これで東御苑を一周したことになります。
二の丸と三の丸、今では堀が埋め立てられていて、境目が分かりませんでした。
来た時と同じ、大きな門(大手門渡櫓)を抜けて帰りましょう。
櫓の向こう側には、オフィスビルと外国人観光客。
小さい大手高麗門を抜ければ、いよいよ俗世です。
気品と伝統と日本情緒にあふれる江戸城内(皇居内)を見慣れた後なので、普通のビル群が超未来空間に見えてしまいました。
大手門交差点。
左右が内堀通り。
正面奥に伸びるのが永代通り。

ということで、江戸城と皇居の片鱗を堪能させていただきました。

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