以前、日大のアメリカンフットボール部選手による悪質タックルについて所感を書かせていただきましたが、事態は「アメリカンフットボール」といういちスポーツ競技の不祥事から「日本大学におけるガバナンス(統治プロセス全般)の絶望的な欠如ぶり」へと進行しており、7月下旬に予定される「日大内に設置された第三者委員会による調査」によってどのような結論が出るのかが注目されています。
以前のエントリー記事内では、「なぜこの問題がこれほど世間を賑わせる(マスメディアがガンガン報道する)のか」について、私なりの「妄想的仮説」をいくつかご紹介し、「妄想の5番目」として「なかなか倒れてくれない安倍政権への憂さ晴らし的代理戦争なのでは?」という趣旨のことも書かせていただきました。
さすが妄想なだけありまして、自分で書いておきながら「いくらなんでも、そんなことは、ありますまい」と思っていたのですが、6月4日のテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』内で、コメンテーターの青木理さんと玉川徹さんが以下のようなやりとりをしていました。
玉川「青木さんが別の番組で言ってて『なるほど』と思ったんだけども、結局、国の政治のトップの部分が(森友文書問題などの疑惑の全容解明に向けてまともに)動かないから、日大の問題である種『憂さを晴らす』みたいなことをやってるんじゃないかって青木さんおっしゃったんだけど、そういう部分あるよね(と青木さんに振る)」
青木「うん、ありますね」
玉川「うん、ある!」
このやり取りの前段で、玉川さんは「うちの番組(モーニングショー)も含めてテレビで森友問題を取り上げなくなってきた」ことにも言及されていましたので、「憂さを晴らしている」の主語が「視聴者」ではなく「メディア側」であることは明らかだと思います。
となると、「メディア側(伝える側)が、安倍政権に対する『モヤモヤの憂さ』を日大アメフト問題で晴らしている」という私の妄想は、まんざら的外れではなかったようです。
後日談をもうひとつ。
以前のエントリー記事のラストに、1970年代前半に大活躍した5人兄妹アイドルグループ、フィンガー5が歌った「恋のアメリカンフットボール」のamazonバナーを貼らせていただきました。
その際には歌詞のことなど、まるで念頭になかったのですが、先日ふと思って歌詞を検索したら、今回の悪質タックル問題を彷彿とさせるような内容だったことに大変驚きました。
歌詞を無断で引用するのは御法度のようなので、本エントリーでは、以下にごく一部を単語的に抜き出してみます。
「手ごわい相手」
「一気につぶして」(←1974年時点のアメフト界において「つぶす」というワードが一般的に使われていた様子がうかがえます)
「もう後へはひけない」
「心は決められない」
「ふるえている」
などなど。
※歌詞全文は、以下に代表される「歌詞検索サイト」などで確認可能です。
今回の事件とシンクロしてしまうようなフレーズがてんこ盛りでありまして、偶然とはいえ、作詞なさった阿久悠先生は、恐るべし です。
(興味本位でゲスな替え歌を作って、カラオケボックスで熱唱している人がいても不思議じゃないほどです。。)
以上、後日談的な番外編でした。
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