孤独で貧しい生活を送りながらも、純粋で心優しい男、アーサー。
その彼が、バットマンの宿敵である“悪のカリスマ”ジョーカーに変貌していく過程を描いた映画『JOKER(ジョーカー)』を観てきました。
この映画については、
- 今年のベネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞した。
- 主役を演じたホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技。
- 「格差の拡大」「人々の分断」「不寛容な社会」といった現代情勢とのシンクロが、ヒットの一因。
- アメリカでの上映時、「私服警官を配置」したり「手荷物検査を実施」したり「コスプレ禁止・マスク(仮面)着用禁止の措置」をとった映画館もあった。
などなど、事前にいろんな触れ込みを見聞きしましたが、実際に観賞してみて、「“警官動員”とか、それって結局はプロモーションの一環なんでしょ」と切って捨てるのは、ちょっと難しいように感じました。
アメリカでは2012年、バットマンシリーズ作品のひとつ『ダークナイト ライジング』の上映中に銃乱射事件が起きて12人が死亡しています。
また、本作『ジョーカー』では「いきなり悪者(ジョーカー)が悪者として登場するのではなく、一般市民(弱者)が邪悪の権化に変化する過程」が描かれています。
そのせいで、経済的・社会的に恵まれない市民がこの映画に感化されて「アーサーは俺たちだ! 俺もJOKERになるべきだ!」などと暴徒化するのを当局が警戒したくなる気持ちも、まぁ分からないではないかなぁ、と感じます。
何が言いたいかというと、そのくらいすごい映画だと思いましたし、傑作だと感じた次第です。
ということで、以下、備忘メモとして感想などをまとめておきます。
バイオレンスシーンは、ちゃんと「痛い」。
シューティングゲームのように人がバッタバッタと殺されていく映画はいくらでもありますが、その凶暴性・残忍性がきちんと伝わってくる映画はそう多くはありません。
それに対して、この『ジョーカー』では、人に危害が加えられるシーンの全てで「うわっ、やめてっ。痛すぎ…」というシンドイ感覚にしっかり浸れると思います。
念のため申し添えると、「体が真っ二つになって血糊がドバーッ」みたいな“笑えるスプラッター映画”とは全く違っていますし、観ていて「げげっ」とのけぞる余裕すらありませんでした。(固まったということですね。w)
館内にはポップコーンとドリンクを持ち込んだカップルさんもいらっしゃいましたが、私は当作品鑑賞中の飲食は全くもっておすすめしません。(というか、喉を通らないと思います)
「主人公に共感できる・できない」は、どうでもいいと思う。
「経済格差」「弱者冷遇」などと評される昨今の社会情勢を背景に「悪に走るアーサーの気持ちは共感できるかできないか」みたいなやりとりをテレビなどで見かけることがあります。
先日も、夜の某ニュース番組でレギュラーコメンテーター(某大学准教授)が「私はものすごく共感したが、奥さんは全く共感してませんでした」などと、どうでもいいコメントを発していましたし。w
私なりに推察すると、「貧しく孤独なままダークサイドに堕ちていったアーサーはむしろ被害者。彼のような存在を冷遇放置した社会こそが問題。現代社会とも酷似している」という視点があるからこそ、そこに「共感できる・できない」みたいな二択が生まれてしまうような気がします。
その気持ちも分からないではありませんけど、そもそも、アーサーはあらゆる意味でどんどん“狂っていく”のですから、そんな彼に対する共感の可能性を探ること自体、ほとんど意味がないように思うのですが。
(↑これは本作品のアーサーに限定した感想であり、精神疾患を持つ人々全般に対するものではないので、念のため)
で、私が最も強く感じたのは、以下のとおりです。
「狂っていく人」の主観描写がすばらしかった。
ネタバレしない範囲でまとめますと、アーサーの身には、とにかくいろんな不幸が次から次へと降りかかってきます。
彼はそれに抗いながら生きていくのですが、その都度「さらに彼の人生を狂わせる不幸」が襲ってくるわけです。
そのおかげで、
「いくら映画とはいえ、不幸なことが重なり過ぎていて、脚本としてどうなの、これ?」
とか、
「確かに不幸の連続だけど、それで誰々を◯◯してしまうところまでいってしまうものだろうか?」
と、ストーリーの陶酔から覚醒しそうになった瞬間もゼロではありませんでした。
がしかし。
「いくらなんでも・そんな程度のことで」という感情が芽生え始めるたびに、
「だって、実は過去にこんなことがあったんだもん」
とか、
「この展開って、本当は◯◯が××してるんだよね」
という強力エピソードがしっかりと追加供給されてくるので、「さすがにここまでされちゃえばねぇ」という具合に、アーサーの心理変容や立ち居振る舞いと心中できるようになっていたと思います。
ただこれも、「アーサーが事態をどう受け止めて、どんな具合に悪に染まっていくのかがよく分かる」ということであって、「もしかすると自分もそうなってしまうのでは?」的な不安は(幸か不幸か)感じませんでした。
まとめると、
「ひどい目に遭い続け、悪へと狂い堕ちていくアーサーの内面(主観)の変容プロセスと具体的な悪行が、とても具体的に、そして美しく描かれていた。でも自分が同じ目に遭っても、ああいう考えかたはしないと思うけど。たぶん」
といったところでしょうか。
「こうなる人もいるし、ならない人もいる」と書くと身もフタもありませんが、要するにそういうことです。
そんなわけで、「『アーサーに共感するかしないか』という問いに束縛されることなく、1人の狂人の振舞いをフィクションとして楽しめるかどうか」というあたりが、この映画の評価の分かれ目になるような気がします。
【余談】
- 「あれ? 今の場面って、何? どうつながるの?」と感じるシーンがあるかもしれません。観賞後にググってみたところ、監督も主役俳優も「自由に解釈してね」的なコメントを出していたので、ストーリーの「微に入り細に入り」なキャッチアップに熱中しすぎないほうが、作品を楽しめると思います。
- 日本が(基本的には)銃社会でなくてよかったなと、つくづく思います。
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