職業作曲家よ、さようなら。(追悼・筒美京平さん)

職業作曲家よ、さようなら。(追悼・筒美京平さん) Music/音楽
スポンサーリンク

ヒット曲を量産してきた作曲家・編曲家の筒美京平さんが今月7日、誤嚥性肺炎のため亡くなられたそうです。享年80歳。

メディアは「昭和の歌謡界を代表する」という表現をくっつけてこの訃報を伝えていますが、平成の世でも大活躍していたので、ちょっと過小評価すぎる表現じゃないかと、ひとり憤慨している今日この頃です。

私が注目した筒美さんの記録をWikipediaなどをベースに列記してみます。

  • 1960年代から2000年代にかけて10年スパンで区切ってみれば、彼が作曲した楽曲はすべての年代でオリコンランキング1位を獲得している。

  • 同ランキング10位以内まで範囲を拡大すれば、2010年代すら該当してしまう。

  • 作曲作品の総売上枚数はオリコン調べで7560.2万枚で、作曲家歴代1位。(10月12日現在)

  • 1968年から1989年まで、22年連続で作曲家年間売上TOP10にランクイン。そのうち1位は10回。

  • 日本レコード大賞・作曲賞を5回受賞。全作曲家でトップ。

  • JASRACに登録されている作曲作品数は2,709曲
    • 作曲家デビュー(1966年)から亡くなる(2020年)までの55年間で割り算すると、1年あたりの作曲数は平均49.3曲となります。恐るべき多作ぶりです。


加えて、「へぇ、こんな人たちと、こんな曲も作ってたのね〜」というあたりもピックアップしてみます。

  • サザエさん』(1969年・作詞:林春生・編曲:筒美京平・歌:宇野ゆう子・当時の筒美氏の年齢は29歳(以下同様))
    • → 「おさかなくわえたどらねこ」ですよね。アレンジがかっこいいと思います。

  • 『寒い夜明け』(1976年・作詞:楳図かずお・編曲:筒美京平・歌:郷ひろみ・36歳)
    • → 企画ものかと思ったら、オリコン週間チャートで最高5位だそうです。

  • 『美貌の都』(1983年・作詞:中島みゆき・編曲:坂本龍一/筒美京平・歌:郷ひろみ・42歳)
    • → いろんな意味で豪華すぎ。

  • 『色は匂へど』(1990年・作詞:伊集院静・編曲:新川博・歌:ちあきなおみ・50歳)
    • → ちあきなおみさんへの楽曲提供は、これだけみたいですね。ちょっともったいない…。

  • 『BEST FRIEND』(1992年・作詞:福島優子・編曲:土方隆行・歌:SMAP・52歳)
    • → メンバーたちも好きだったらしく、折に触れてよく歌っていましたよね。

  • 『兆しのシーズン』(1993年・作詞:中島みゆき・編曲:瀬尾一三・歌:中島みゆき・52歳)
    • → どちらから依頼した話なのかは分かりませんが、シンガーソングライターにも曲を提供してたとは。

  • 『カナディアン アコーデオン』(1993年・作詞:井上陽水・編曲:佐藤準・歌:井上陽水・53歳)
    • → 前述同様、本人は作詞だけして作曲を筒美さんにしてもらって、それを歌うシンガーソングライター。いとをかし。

  • 『強い気持ち・強い愛』(1995年・作詞:小沢健二・編曲:小沢健二/筒美京平・歌:小沢健二・54歳)
    • → これは当時から話題になっていましたし、ヒットしたのでご存知の方も多いでしょう。

  • 『恋のルール・新しいルール』(1998年・作詞:小西康陽・編曲:小西康陽/福富幸宏・歌:ピチカート・ファイヴ・57歳)
    • → “渋谷系”その2。私のiPhoneに常備されている曲です。かっこいいです。これを57歳でお作りになったとは…。

  • 『Sweet pain』(2000年・作詞:MISIA・編曲:松井寛・歌:MISIA・59歳)
    • → タイトルからバラードを想像したんですが、iTunes Storeで試聴したら、思いっきりファンキーでビートもノリノリな曲なんですね。

などなど。

これらを見るだけでも、筒美さんが「職業作曲家」と称されてきた理由が分かります。



さらに、JASRACのサイトで、筒美さんに対して行なわれたインタビュー記事を見つけました。おそらく2002年だと思います。

この中にも、“職業作曲家”としての矜恃が感じられる発言がいくつも見受けられます。例えばこんな感じで。↓

「外国の曲を聴くうえでも、どうすれば日本で売れるかを模索していた」

「(『ブルー・ライト・ヨコハマ』は)歌謡曲なんだけど、サウンド的にはバート・バカラックっぽいでしょう」

「(1970年代)当時はよく冗談で言っていましたが、僕らは『日本歌謡会社』に勤めているサラリーマンなんですよ、って(笑)」

「ジュディ・オングの『魅せられて』の時だって、当時ソニーの大賀社長から『絶対にレコード大賞をとれ』っていう至上命令が出てね」

「とにかく曲をつくる時は、中ヒットであろうが大ヒットであろうがベスト10に入らないといけないと思っているけど、作った曲がヒットしなくても失敗の原因分析はしません」

「今のリスナーが求めるものも『うた』よりも(アーティストの)個性や味みたいなものじゃないでしょうか。僕の感覚では、『作品』のクオリティも高くて『歌』もスゴイ、歌手と一緒に『跳ねる』ような形が理想ですね。

などなど。

インタビューでは、つんくさん、小室哲哉さん、小沢健二さん、ピチカート・ファイヴさん、ラブサイケデリコさん、ドラゴンアッシュさんなどの曲を聴いていろいろ分析していることも語られていて、作詞家の作った歌詞に長年にわたり曲をつけてきた“職業作曲家”が、詞も曲もセットで作るポップス畑のアーティストをどう思っているのか(どうリスペクトし、どうライバル視しているか)がうかがえて、非常に興味深いです。ぜひご一読を。↓



さらに、メディアにほとんど露出しなかった筒美さんが、過去にテレビ出演して話題となった番組が2つあります。

ひとつは、2005年1月1日に放送されたBSフジ『HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜です。この第1回のテーマが筒美京平さんでして、私はこの番組で初めてご尊顔と肉声を拝し、「筒美京平って実在するんだ!」と驚いた記憶があります。
(全盛期のあまりの量産ぶりから、私は「筒美京平というのは、複数の作曲家からなるユニット名なのではないか?」とすら思っていましたから。笑)

もうひとつは、2011年5月29日にNHK BSプレミアムで放送された希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平です。
こちらでは、長年にわたりタッグを組んできた作詞家の松本隆さんと対談もしているとのこと。
(東日本大震災の2ヶ月後ということもあり、私はノーチェックでした。ちくしょう…)

ということで、両局さまにおかれましては、ぜひ追悼企画として(ダイジェストではなくフル版での)再放送を実現していただきますよう、謹んでお願い申し上げます。


最後に、裏方に徹した真のプロフェッショナルに、合掌。


  

  

コメント

タイトルとURLをコピーしました