前回に引き続き、「30年近く勤めてきた職場を円満退社することを目論み、足かけ4年近い時間をかけている間にいただいた、さまざまな慰留の言葉」の2回目をお伝えします。
↓前回は、こちら。
今回は、「新しい年度を『部署異動&昇進』で迎えた、退職の2年前」からスタートです。
といっても、実はこの「退職2年前」の年度は、社を挙げた大きなプロジェクトが始動する年であり、私も責任者の1人として深く関与することになっていました。
しかも、部署の異動によって直属の上長も変わりました。
そんな環境下で「ほぼ初めて一緒に仕事をすることになった直属上長に、早期リタイアの相談をしながら、もう一方で、一大プロジェクトを推進する」のは結構な負担になりそうな気がしましたので、最初の8ヶ月間は早期リタイアの相談活動をほぼ封印することとしました。
で、プロジェクトが一段落した年明けから、新しい直属上長との相談を本格化させたのです。
それを便宜的に第7回会談とします。
第7回会談
新しい直属上長は、ご自分の感情を前面に押し出すのではなく、冷静沈着かつフレンドリーな会話を好むような方でしたので、
「自分の中で、気持ちの整理はついているの?」
「辞める・辞めないの比重は、今、どういう感じ?」
「将来を期待されてるんだよ」
と、実に落ち着いたテイストで話をしていただきました。
間違っても「家に火をつける」(←前回の記事参照)などという横暴な発言はありませんでした。
ただ、(考えてみれば当然ですが)私が部署異動した段階で、新・旧の上長間において「早期リタイア関連の申し送り」もされていたとのこと。
よって新・上長は、
「こっちから君の退職の話題を切り出すのも変な話だから、いつ言ってくるのか、ずっと気にしてたんだよ。
まぁプロジェクトが終わってからだろうな、とは想像してたけどさ」
という暴露話もしてくれました。恐縮です。
第8回会談
第7回から5カ月ほど経ち、いよいよ退職の1年前となり、この辺から相談の頻度がかなり増えてきました。
新・上長に対して、「今年度の区切りのいいところで退職したい」ことを正式に伝えたところ、
「転職なら引き止めようもあるが、家族の事情だと、こればかりは如何ともしがたいなぁ」
「半分くらいは、まだ諦めていないけれど、現実的に区切りがいいのは12月ではなく、やはり年が明けて年度末の3月だと思う」
と、事実上ほぼ了解してもらえたのがこのあたりだったと思います。
第9回会談
これは退職前年の5月頃ですが、新・旧の上長とそれぞれ何度も会談を持ちました。全部を引っくるめて「第9回」としてしまいますが、
「実家の家業が心配になる気持ちはよく分かるよ。自分の実家も似たようなところあるし」(新・上長)
「家族を支えるなら、まず結婚しろ」(旧・上長)
「家族を支えるというなら、その具体的な支援策を聞かせろ」(旧)
「実家の家族に恩返ししたいっつうけど、会社に対しての恩返しはしてくれないの? ずいぶんとドライじゃないか」(旧)
「異動した部署がうまく機能していれば、辞めてもいいけど(そうなってないだろ、どうせ?)」(旧)
「本当に後悔はしないのか?」(旧)
「辞めちゃダメだよ。一緒にがんばろうよ。自分も体がツライが、がんばっているんだから」(旧)
などなど、このあたりは硬軟取り混ぜて、いろんな言葉で慰留されていました。
「硬」な言葉は、もっぱら「旧」のほうからでしたが。w
退職前年の6月頃
新・旧の直属上長への説得がほぼ完了したと判断し、その上役(ただし社長の下)に報告に伺いましたが、やはり既に報告が上がっているらしく、ネガティブな反応はありませんでした。
会談の最後に、
「今日は、あくまでも雑談として聞いたことにする」
と意味深なことを言われたのが気になりました。
いろんな慰留のしかたがあるものです。
退職前年の8月頃
帰省時に父親から、「親族で唯一の慰留」をもらいました。
「検討に検討を加え、後に後悔のないようにしろ」
とのことでした。
で、この帰省時の家族会談を経て、「翌年3月末にて退職」することを正式に新・上長に宣言しました。
「本人としては納得しているか?」
と最終確認が入り、もちろん「納得している」と返答。
さらに旧・上長も、
「人生の問題だから、これ以上はどうしようもないよね」
と、ここまで来るとさすがに折れてくれたようでした。
退職前年の9月頃
これまで本件について直接コンタクトしていなかった役員さんに、初めて説明に向かいました。
既に新・旧の上長から情報が入っていたため、役員室に入って「個人的な話で恐縮ですが、ご報告がありまして…」と切り出した途端に、
「ダメ!」
と一喝され、さらに立て続けに、
「本当にそれがお前や家族にとって最良なのか?」
「5月頃には報告を聞いていたが、その段階でこっちから声をかければよかった。後悔している」
「自分では分かっていないようだが、君は特異なポジションを築いているんだから」(←どんなポジション?)
「半年もしくは1年程度の休職で、その間に家族を支えればどうにか落ち着いたりしないのか?」(←それができたら「辞める」なんて言いません)
「本人からの社長への報告は、まだするな。年内いっぱいじっくり考えるように」(←既に数年じっくり考えて来ましたが、了解です)
「社長には、まずこっちから伝えておく。『本人の意思は固いが辞めないと思う』と言うつもり」(←なぜ?)
「加えて、社長には『そのうち本人が報告に行くと思うが、そしたら殴ってやって下さい』と言っておくから」(←もしもし?)
などなど、実に分かりやすい「物分かりの悪さぶり」を発揮されていました。
今にして思えば、この役員さんが一番しぶとく粘って下さったのかもしれません。
退職前年の10月頃
だいぶ外堀も埋まってきたので、人事担当の役員(上記とは別人)にも説明に行きました。
反応としては、
「もったいないが、決心が固いのであれば理解した」
「もし、この先状況が変わって退職しなくなったとしても『話が違うじゃないか』とは言わない。むしろ歓迎する」
とのこと。
本当にありがたいお言葉でした。
退職前年の11月頃
このタイミングで、人事部長に対しても報告を行ないました。
既に役員クラスに対する行脚も佳境に入っていたこともあり、人事部長さんは「自分が今更なにかを言うことで事態が変わることはないだろう」という雰囲気でしたが、それでも、
「会社を取り巻く環境も厳しさを増しているし、引き続き力を貸してほしい」
など、日頃のご本人のキャラからは想像できないほどの熱量で慰留していただきました。
この時期になると、こちらとしても「慰留に対する受け答え」がだいぶこなれて来ており、自分でも驚くほどスラスラと返答できてしまっていたように思います。
退職前年の12月頃
昇進の内示が出た際の会食時に「これで辞めなくてすむだろう」とおっしゃった社長に対して、正式に辞意を伝えましたが、
「それほど前から検討して、男として人生の決断を下したのであれば、尊重する」
「我々経営陣は、あと2年ぐらいは変わらないと思うが、もしその間に君の状況が変わったなどあれば、相談してきてほしい。不公平と言われない範囲で検討できることもあるだろうから」
という、究極の優しいお言葉をいただき、恐縮しまくりでした。
(幸いにして、今のところ状況は変わっておらず、相談する事なく済んでいますが)
退職する年の1〜3月頃
年明け早々になって、ようやく直属の部下や仲の良い同僚数名に告知をしました。
これをきっかけにして、次第に社内じゅうに噂が広まり、3月末の退職と相成った次第です。
以上、お読みいただいて「なんだ、こいつは。 ここまで早期リタイアを惜しまれる人間に対して発せられた慰留の言葉なんて、何の参考にもならないし〜」とシラけてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
確かに読み返してみると、我ながら「通常では考えられないほど引き留めてもらったなぁ」と痛感しますが、それもこれも、足かけ4年もかけて丁寧に説明・説得を重ねたことを認めてもらい(功を奏し?)、円満退社に繋げることができたんだろうと思います。
その甲斐もあってでしょうか、今でも年に数回、前職の方々からお声がけいただき、楽しく飲んだりできておりますので、やはり時間をかけただけのことはあったようです。
最後に、「会社を辞めたい」という方に対して、切にお伝えします。
「情けは人の為ならず」ということわざがありますが、同じように「円満退社も人の為ならず」でありまして、気持ちよく卒業させていただくのは、相手のためでもあると同時に、もしかすると、それ以上に自分にとっても「大事なこと」なのだと思います。
そのためにも、
「決心が十分に固まってから相談を始める(さもないと、いろんな慰留の言葉によって決心が揺らぎます)」
「退職理由としては、真実を伝える(適当な理由をでっち上げても見透かされます)」
「その上で、時間を十分にかけて、交渉相手の理解を求める(相手側だって人の子ですから、気持ちを整理する時間が必要です)」
こんなあたりを意識されてみるとよろしいのではないでしょうか。
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