前回のラストで、「円満退社に向けて、ていねいに話を進めることになるので、時間を要します」とお伝えしましたが、私の場合、ほぼ丸3年の時間をかけました。
と言っても、2014年の春(新年度早々の面談)に初めて上司に「数年以内の退職を考えている」ことを表明し、実際に退職したのが2017年3月だったということであり、その間、円満退社に向けた説得作業を毎日やっていたわけではありません。
それにしても我ながら「長すぎ」だったと思います。
もちろん、これにはいくつか理由があります。
理由1:最初の意思表明の段階で、既にそれなりの役職だった
複数の部署で構成される「事業本部・事業ユニット」のトップとかナンバー2ぐらいのポジションになると、発作的に「すいません、仕事がツラくなったので、来月辞めます」と言い出すことは、なかなか出来ません。
最低でも1年はかける必要があるだろうと最初から想定していました。
理由2:「意思表明は年度始め、退職時期は年度末」と決めていた
1年以上をかけさえすれば、たとえば「8月に意思表明して翌年の7月末に退職」でもいいのかというと、これも難しいのが実情です。
会計期が「4月〜3月」の会社では、人・モノ・カネのすべての活動がこのサイクルで回りますので、「年度末=3月末」以外の時期に会社の主要メンバーが辞めるというのは決して望ましいことではありません。
本部長クラスの人間が「年度の途中でいなくなる・別の人に代わる」となると、影響を与える人数も多くなり、円満退社させてもらえる確率は大きく低減すると考えました。
この段階で、私が退職できるタイミングの候補は「2015年3月、2016年3月、2017年3月…」ということになりました。
理由3:2015年度中にピークを迎える大きなプロジェクトを抱えていた
最初に退職の意思表明をした2014年春の段階で、既にこの「大きなプロジェクト」は動き出しており、私もかなり関与していました。
そのケリがつくのを見届けることなく、途中で放り出してしまっては、これまた円満退社など実現するワケもありません。
ということで、ここにきて「最速2015年3月での退職」という選択肢が消えました。
理由4:名実ともに「本部長クラス」となり、上司も変わった
そうこうするうちに、つまり2015年4月から事業本部のトップを託されることになりました。
「ここまで来たら、辞めるの、やめるか」と考える方もいらっしゃるとは思いますが、私の場合、早期リタイアの意思自体は変わりませんでした。
ただ、「実質トップ」から「正式にトップ」となり、同時に上司である「担当取締役」も変更となったため、「この体制で1年やって『あとはまかせた、よろしく』と言える体制までもって行けるか」が不透明になった時期でもありました。
しかも例の「大きなプロジェクト」の山場も2015年度中に到来します。
最終的には「まずは1年やってみて、翌年さらにいい体制に持っていき、後進にバトンタッチするのが得策」と判断し、「2016年3月で退職」という選択肢も捨てることにしたのです。
で、最終判断。
となると、残るは「2017年3月、2018年3月…」というプランになりますが、最初に上司に「早期退職の意思表明」をしたのが2014年の春ですから、最速の「2017年3月退職」でもほぼ丸3年が経つことになり、さすがにそれ以上の先延ばしはありえないだろうと判断し、最後の年度(2016年度)で諸々の調整をしながら、2017年3月の退職を迎えるというスケジュールを確定させました。
今こうやって振り返ると、ほぼ丸3年要したのは「退職の時期を探るのに必要だった」ということであって、「辞めるかどうかを悩み続けた3年」ということではなかったようです。
ありがたいことに、色々な人々から慰留の言葉をもらい、それを受けて私も「そうですね、もう少し考えてみます」と答えたことも何度かありますが、考えるたびに「やはり2017年3月の退職が最善」という思いが強固になっていきましたので、結果としても「3年という時間」は、私のような慎重型の人間とっては決して無駄ではなかったと思います。
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