早期リタイア後に感じる家族の変化

早期リタイア後に感じる家族の変化 Family/家族
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早期リタイアする以前、私の居住地から数百キロメートル離れている実家に帰省する機会は、多くても年に2回、1回あたりの滞在日数は長くても2泊3日という程度でお茶を濁していました。

月〜金のフルタイムワーカーとしては、土日を利用して帰るのは、正直シンドイというか平日の疲れが取れないというか、むしろ疲れに行くのを覚悟するというか、とにかくそれなりの覚悟をが必要な行事だったのが事実です。

 

しかし、フリーランスの身となった今は、心置きなく疲れに行ける余裕が生まれました。

実際、リタイア1年目の昨年は1回あたり7日〜10日、年間6回という、これまでには考えられない頻度で実家の家族に会えるようになりました。

 

2泊3日程度だと「お客様へのおもてなし」モードの域を脱しないのですが、年に何度も、しかも最低1週間も実家に滞在していると、徐々にお互い(私と家族)のボロが見え隠れしてきて、いろいろ実情をうかがい知ることができます。

今回は、その中で感じた家族の変化についてお伝えします。

 

 

変化その1:お互い歳をとった。

息子は50過ぎ、実家の兄は50代半ば、両親は70代後半ですから、お互いの老化ぶりは滞在日数が長期化するほど顕在化します。

1日・2日ではあれこれ取り繕ったりカモフラージュもできますが、1週間もいれば、どうしても化けの皮は剥がれるわけです。

 

例えば・・

「家族・親族に起こった同じエピソードを、帰省のたびに報告してくる母親。そして『それ、もう何回も聞いたから』と言えない息子」

「息子の体型は変化していないのに、帰るたびに『また太ったんじゃないか?』と訊いてくる父親(父親側が縮んできているのか、あるいは息子の外見の記憶がある時点で固定化してしまったのか…)」

「以前の夕飯時なら日付が変わる頃まで酒を飲んでいた兄が、21時前後で切り上げて自分の個室に向かって床につくようになった兄(弟である私が頻繁に帰るようになったため、新鮮味が薄れただけかもしれませんが)」

「『いつまで寝てるんだよ!朝ごはんだよ!』と言われる前に自然に目が覚めてしまい、家族の朝食に自発的に加わるようになった私」

変化の例を言い出せばキリがありません。

ただ、お互い歳をとったからこそ、今後もなるべく頻繁に顔を出しておこうと思いますし、それが早期リタイアによって可能になったことは本当に良かったと感じています。

 

 

変化その2:健康問題

これは「変化その1」によって発生してくる問題ですが、両親が毎食後に服用する処方薬の量の多さには、とにかく驚かされます。

何の薬かなど、あまり詮索しないようにしていますが、それでも日常会話を通して「腰が、目が、指が、足が、心臓が」という親の体調はうかがえます。

 

各症状に即した薬が処方されているのでしょうし、病院を掛け持ちしているわけでもないので、お医者さんを信頼するしかないのですが、それでも1回の通院で「スーパーで買い物でもしてきたのか?」と思うほどの手提げ袋いっぱいの処方薬を持ち帰ってくると、さすがに心配にはなるわけです。

そのくせ、

母「最近、体のどこそこの調子が悪くなってきた」

私「行きつけのお医者さんには伝えたの?」

母「言ってもどうせ『歳のせい。歳をとればみんなそうなる』と諭されるだけだから、言ってない」

私「通う病院を換えたら?」

母「そうだねぇ。でも、今の病院も、どーたら、こーたら」

という会話が頻発しますし、かと思えば近所の知り合いから「関節の痛みに効く」というふれこみの「得体の知れない胡散臭そうなパッケージと商品名の謎のクリーム」を膝や腰に塗り込みながら、「これ、すごく効く。お父さんもご近所さん達も、みんな『よく効く』って言ってる」とご満悦だったりと、息子としてはどう対処していいのか戸惑うことが少なくありません。

最近は「息子との会話を楽しみつつ、いたわりの言葉の一つでももらえれば」という心情なんだろうと解釈するようにしていますが、心配のタネのひとつであることに変わりはありません。

 

 

変化その3:食生活問題

これはもっぱら母親に関する変化ですが、手料理の味が確実に落ちてきました。

手を抜いているというよりは、手の込んでいる料理を作るのがシンドくなってきたようです。

その一方で、2台ある冷蔵庫だけでなく、冷凍専用庫の中には大量の食材が隙間なく保管されています。しかも賞味期限切れも少なくありません。

にも関わらず、1度の買い出し時で「半端ない量」の食品を調達してくるのです。

実家で唯一料理を受け持ってきたのが母ですから、味の変化や食材の調達量についてあれこれ言うのは控えるようにしていますが、実家の食の一切を今後も10年・20年と継続できるわけもありませんから、いずれ何らかの対応に迫られるのは覚悟しておく必要がありそうです。

帰省時には、出来合いの惣菜を調達してきたり、食後の後片付けを手伝ったりしてはいますが、もっと関与度合いを高めるべきなのかもしれません。

 

 

変化4:故郷の街や実家の近所が狭く感じる。

家の中についてはほとんど感じませんが、家の敷地や目の前の道路、ご近所の知り合いのお宅までの距離などについて、「あれ、高校まで住んでいたけど、こんなに狭かったっけ?」と感じることがあります。

加えて、クルマで30分程度の県庁所在地の繁華街に行くと、そのこじんまりぶりに軽いショックを受けたりもします。

単に東京と比べてしまうということだけでなく、何か別の要因がありそうな気がしますが、自分ではよく分かりません。

ただ言えるのは、県庁所在地の繁華街にせよ、実家の近所にせよ「人が減ったけど、年寄りは増えた」ということでして、帰省日数が増え、故郷内での移動範囲が広がるにつれて実感の度合いが高まってきています。

 

 

以上、まとめると「少子化・高齢化にともなう地方衰退の一過程」という話なのかもしれませんが、高校生までの多感な時期を過ごした地域だけに、少なからず感傷的になってしまいます。

政府の言う「地方創生」にもさほど期待もできず、どうしたもんか、という感じの今日この頃です。

 

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