こんな「グリーンブック」でした。

先週から劇場公開が始まった「グリーンブック」。
アカデミー賞・作品賞を受賞したこともあり、話のタネに鑑賞してきました。

「学のある黒人の一流ピアニストが、無学でガサツ(しかも黒人差別の意識もある)なイタリア系白人を運転手(兼用心棒)として雇い、人種差別意識の強い1960年代のアメリカ南部を8週間にわたって車で演奏旅行に出かけ、その中で生まれる友情をユーモアも交えながら描くヒューマンドラマ」

というようなストーリーですし、オスカーを獲るぐらいですから、安心して観ることができる映画だと思います。

もちろん、当時行なわれていた人種差別のディテールが描かれていますから、「たった60年ほど前に、こんなことが…」「黒人差別がいかにヒドかったことか…」という気分に浸ってもしまうのですが、
「有色人種(主に黒人)が一般公共施設を利用することを法律(ジム・クロウ法)で禁止・制限していた時代って大変だったんだな。なんて理不尽な時代だったのか」
と感じるか、
「ジム・クロウ法は撤廃され、黒人に対する差別意識は減ってきたとはいえ、当時の状況を“現代人の目線”でもって寛ぎながら(時に笑いながら)鑑賞できるほど、現代社会には差別がなくなったんでしたっけ?」
と感じるかで、この映画の評価はかなり変わってくるんじゃないかと思います。

別に、「前者の感想が低レベルで、後者が高次元」ということもありませんし、私自身の気持ちも、鑑賞中ずっと両者の間を行ったり来たりしておりました。

その上で、敢えて自分にキツく向き合った感想を述べれば、
「自分が今、理不尽・不合理・非人道的な扱いをされた(あるいは目撃した)として、この黒人ピアニストのように毅然かつ冷静に対峙することができるのだろうか?」
と思わざるを得ないわけです。

もしかすると、せいぜい「中立・無関係」を表明する程度で、「異議申立て」などできないんじゃないかと思います。


映画の中にも、
「あなたを個人的に憎んでいるわけではない。この土地では、こういう風習なのだ」と言いながら白人が黒人ピアニストを冷遇しようとするシーンがありましたが、私自身、「おかしいかもしれないけど、これがルールなんだし」とか「こっちも◯◯を我慢してるんだから、そっちだって××を諦めるべき」などの理屈で「行動しない自分」を正当化したこともあるわけで、その意味では、観る人の覚悟が問われる面もあるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えさせる契機として、この「グリーンブック」という映画(ならびにアカデミー作品賞受賞)は大きな役割を果たしてくれました。


ただその一方で、すごく退いた(ひいた)感想も言えば、
「ハリウッドの映画業界って、本当にトランプ大統領の政治信条が嫌いなんだろうなぁ。だからこういう映画を作って『壁で人々を分断させようとするトランプの諸政策』に反対の意思表示をしてるんだろうなぁ」
と思ったりもします。

現に、今年のアカデミー賞の作品賞ノミネートの中には、この「グリーンブック」の他にも「アフリカ、黒人、KKK、メキシコ、マイノリティのアイデンティティ、アメリカ政治の中枢」を題材にしたものがあまりにも多く、ちょっと面食らったのも事実です。

皮肉を言えば、
「なに、この手のひら返し感? 何かの贖罪大会? 作品賞獲ったけど、登壇した『グリーンブック』の製作陣はほとんど白人(しかも男性)だったよね?」
という印象を持ったりする今日この頃。。。
まぁ、たまたまかもしれませんが。


余談ながら。
主人公(イタリア系白人運転手)は言うに及ばず、彼の大家族はいずれも「黒人に対して差別的なスタンス」なのですが、その中にあって唯一、主人公の妻だけは最初からリベラルな態度で黒人たちに接します。
彼女がそうなった「きっかけ・経緯」もぜひ描いて欲しかったです。